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シャコーグレイドを送る [競馬]

とりとめのない話をします。

私の競馬歴の中で、一番好きだった馬はシャコーグレイドという馬です。


ただ、近年は好きな馬を聞かれてもあまりちゃんと答えるようなことはしていませんでした。競馬を知らない人や最近始めた人はこの馬を知らないでしょう。知らない人に説明するのは難しい馬なのです。知っている人たちはなんとなくニヤニヤするでしょう。そのニヤニヤに、はじめたばかりの競馬の何もかもが面白く、純粋に応援していた頃の自分が見えてなんとなく居心地の悪い気持ちになるからです。

好きになったきっかけは葉牡丹賞をテレビで見ていたからでした。デビューから連勝、幼少時の記憶にあった三冠馬の仔、きれいな黒鹿毛、来年のクラシックを目指す、行けるんじゃないか。それで追いかけはじめました。競馬を初めて2ヶ月、今ならそんなことだけで注目したりはしません。でも、それでのめり込んだ。トウカイテイオーに打ちのめされた若葉Sに絶望したあとの、絶好の調教から抽選をかいくぐり2着した皐月賞。今でも外をするすると上がっていくこの馬の姿を鮮明に思い出せます。トウカイテイオーとの厳然とした差はあったけれど、力を出し切ればこれだけの競馬ができるんだという思い入れに応えてくれたことで自分の中では不動の存在になりました。

ただしその後は、好走しても勝ち切れず、凡走と好走を繰り返しても結果は出せませんでした。ダメだ終わったと思われはじめると好走するのに、いいところまで行っても2着まで。こういう馬だから、知らない人に説明するのは難しいのです。でも、リアルタイムで見ていた人たちにはそうした情けなさも含めて愛されていた馬でした。結局、次に勝つまで3年10ヶ月。1994年の東スポ杯。当時の東スポ杯は芝2400mのオープン特別でした。この日はトウカイテイオーの引退式が行われ、多くのファンが見守る中で開催。その中でシャコーグレイドが勝ったものだから話題にもなりましたし、余計に祝福もありました。こうしたエピソードが、その実績以上の人気を維持していた原因なのでしょう。今も多くのファンがいたり、Wikipediaに実績に似つかわしくないほどの記事があったりするのはその結果であります。

ただ、このレースを自分はリアルタイムで見ていません。その日、大学で結局受からなかった某国家試験向けの講座を受けていたため競馬場に行けなかったためです。携帯もない時代、講義が終わったあと祖師ヶ谷大蔵駅の公衆電話から結果案内サービスに電話をかけて「単勝式 1番…」と流れてきた時のなんともいえない気持ちや、多くの人がその勝利をグレイドだけのものでなくテイオーと絡めてしまう不遇など、個人的にはややひがんだ思いが残る思い出ではあります。

その後旧8歳となっても金杯や日経賞で好走はしましたがさすがに衰え、無縁だった故障も発症したため引退。バブルも弾け種牡馬の道は断たれたけれど、調教師が駆け回った結果福島競馬場の誘導馬になりました。陣営がこの馬を大事に思いどうにか生かす道を探していたことが伺えるエピソードです。福島には一度見に行きましたが、現役時代と変わらず黒い馬体が格好良かったと印象に残っています。その福島を7年ほどで退厩したあとは山梨や岐阜などの乗馬施設で乗馬として過ごし今に至っています。この経緯を色々なファンがリアルタイムで報告していましたので、自分もどこで暮らしているのかはずっと把握できていました。こういうのも功労馬として繋養された馬たち以外では珍しいことです。

また彼が引退したあとも血縁の馬たちは応援し続けています。ローレルクラブの会員になったのも、生産者である川島牧場が社長をしているからです。この馬の血縁の馬がいるから加入し、だからこそローレルデフィーに出資しました。今自分がQMA界隈でデフィーさんなどと呼ばれているのも、この馬あってこそなのです。


悲しいお知らせ


そのシャコーグレイドが12月12日に亡くなりました。映画に出るという形でニュースになり世間的にも話題になったのが6月。健在ぶりを見せてくれたのでまだ長生きできるのかなと思っていました。老衰ということなので天寿を迎えたということなのでしょう。「多くの馬は不幸な死の前に平等である」と言った人がいます。事故などはもちろん、競争で、繁殖で、能力が足りなければ淘汰されていくのが経済動物であるサラブレッドの宿命でもあります。天寿を全うできるのはほんの僅か。この馬は血をつなぐことはできませんでしたが多くの人に愛され天寿を全うできました。使役する人間が馬の生涯を評するのはおこがましいのかもしれませんが、幸せな生涯だったでしょう。愛する馬がそういう生涯を送れたことは本当に良かったと思います。


ブログを立ち上げた時に、この時が来たらこの馬について項を割いて書こうと思っていました。いつか来るとは思っていたけど、でもそれは思っていたよりはずっと後でした。でもそれは思っていたよりもあっけなかったです。100%の表現はできないけれど、これを書くことで24年間愛した彼を送ろうと思います。いや、自分が死ぬまで愛しているけどな。

ご冥福をお祈りします。さようなら、そして、ありがとう。



12月23日のQMA [QMA10]

体調不良で、23日の帰宅後ダウンしてました。よって4日ぶりの更新になります。


23日は西日暮里のサブジャンル限闘杯へ。前半、後半とも3位。生物、アニ特、物理化学等々、厳しい組み合わせでした。野球がちょっと効いてもほかがさばけないようじゃしょうがないよね、という感じで力不足でした。

この日のQMAのトナメは5=2(0)-2-1-0#0-0 とかそんな感じ。

で、日暮里にいた頃は良かったのですが、帰宅中になんとなく体調の悪さを感じていたところ帰宅後に一気にそれが身体に回って今に至るという感じでした。インフルエンザではなかったもののウイルスが胃腸に来たようで、24日、25日は会社休んで静養。今日は出社しましたが、ゲーセンに寄るのはリスキーなのと、今日だけは喪に服するためにQMAはせずに帰宅しました。