8月30日のQMA [QMA14]
はてなブログに移行ということではありますが、はてなダイアリーが終わるとのこと。自分が始めた当時のQMAプレーヤーブログというとはてなダイアリーか魔法のiらんどという印象があります。ボボボスレも今は昔。
QMAは浦安で。
デフィー:QLv91→92 白金賢者
D:5=2-1-1#0-1 1-1
===========================
決定戦出題:アニ1、ライ3、社会1
リコアリ:1勝0敗
かなり調子良かったんですけど、最後のクレジットはぐだぐだで終了。ちょっとひどかった。野球の問題をかなり落とした印象。
明日から全国大会ですが、とりあえず週末のうちに10ゲームくらいは。
QMAは浦安で。
デフィー:QLv91→92 白金賢者
D:5=2-1-1#0-1 1-1
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決定戦出題:アニ1、ライ3、社会1
リコアリ:1勝0敗
かなり調子良かったんですけど、最後のクレジットはぐだぐだで終了。ちょっとひどかった。野球の問題をかなり落とした印象。
明日から全国大会ですが、とりあえず週末のうちに10ゲームくらいは。
長州ぐだぐだ紀行(その4) [旅行]
【8月8日】新山口→厚狭→仙崎→東萩→米子
乗り鉄の厚狭朝は早い。4日目は新山口から始発で厚狭まで行ってそこから美祢線と山陰本線仙崎支線へ。萩の観光をすることを考えると、この列車が一番効率が良いので選びました。
部活のための通学とおぼしき学生と旅行客と乗せて山口県の中部を縦断。かつては石灰石の輸送などで賑わった沿線を眺めつつ日本海側へ。ここで青海島観光や海産物を堪能することも考えたのですが、今回は萩へ向かいます。折返しに乗って長門市へ行き乗り換え。
外国人の乗客も多く、ああ萩観光に山陰線使う人結構いるんだなーなどと思いつつ海側のロングシートに座って列車が発車。しかし、なぜか眼前に広がる海。おかしい、俺は海側に座っているはずなのに……、と思って進行方向の料金表を見ると「長門市→小串」の表示……!!???
乗り間違えたーーーーーー!なぜだ、対面に止まる益田行を見て階段を渡って乗り換えたのに…!
(答え)
あとで確認したところ、下関から2両できた益田行は長門市で分割し、前の車両は益田へ、後ろの車両は折り返していたようです。仙崎方面からの入線で益田行は確認できたものの、小串行は仙崎方面の列車に隠されていて見えず、まさか同一ホームで分割して折り返すなどという想像をしていなかったのでわからずに小串行きに乗ってしまったようです。仙崎からの折返しの列車で案内なかったんだけどなあ…。
ま、まあ最悪下関→新山口まで行って、そこからバスで萩か山口線で益田に向かえば乗り継ぎの問題はないだろ観光はできないけど、と思いつつ時刻表を開くと、途中で折り返せば1本あとの東萩行に乗れるので、途中で折り返すことに。
というわけで、折り返すことを決めた時点の次の停車駅だった人丸駅で降りて折返しを待つことにしました。4年前までは有人駅だったので窓口のあととかがありました。いまは閉鎖されています。
元乃隅稲成神社の最寄りのようですが、ここから車で30分くらいかかるようなのでさすがに観光とかはできないため、適当に写真などを撮ったあと自販機でお茶を買ってきてベンチで40分ほど座ってました。で、最初は駅舎に人が居たのですが、程なく自分一人に。
蝉の声だけが聞こえる駅は、うるさいはずなのにとても静かな印象でした。空と雲と山、人の居ないホーム、蝉の声。多くの人が想像しやすいローカル線の駅の風景がそこに広がっています。凡ミスもいいところなんですが、この風景をぼんやりと眺めることができたのはちょっと良かった、と思います。
って、いいこと探ししなきゃやってらんねえ!
折り返して、今度はちゃんと長門市で乗り換えて東萩駅へ。1時間20分着くのが遅れたけどな。
荷物を預けたあとレンタサイクルを借りて出発。松陰神社を振り出しに東光寺にある毛利家の廟や萩城址、幕末志士の由来の場所とかをざっと巡ってきました。戦国期の毛利氏は好きで、幕末期の長州志士はあまり好きではなかったりしますが、古い町並みが残されている旧城下町は趣があっていいですね。
で、昼飯は図書館近くの売店で夏みかんジュース(写真ないけど、これも美味しかったです)を飲んでいるときに店員さんにおすすめされた萩心海でいかづくし定食を。
目の前のいけすで泳ぐ剣先イカをあげて、そのまま刺し身や天ぷらにしていただくわけで、こんなもの美味しくないわけがないのですよね。量・味ともに大変満足しました。美味しかったです。
というところで観光を終えて乗り鉄再開。益田へ移動したあと、そこから出雲市までは特急で。途中の江津まできたところで、過去に乗車した分と合わせて山陰線は完乗。三江線も今は昔。
出雲市から普通に乗り換えて米子まできたところでこの日は終了。
やくも復帰を祝うホワイトボード。まだ豪雨の爪痕は残っていましたが、着実に復旧しています。
最終日は鳥取を経由して東京へ。次回に続きます。
乗り鉄の
部活のための通学とおぼしき学生と旅行客と乗せて山口県の中部を縦断。かつては石灰石の輸送などで賑わった沿線を眺めつつ日本海側へ。ここで青海島観光や海産物を堪能することも考えたのですが、今回は萩へ向かいます。折返しに乗って長門市へ行き乗り換え。
外国人の乗客も多く、ああ萩観光に山陰線使う人結構いるんだなーなどと思いつつ海側のロングシートに座って列車が発車。しかし、なぜか眼前に広がる海。おかしい、俺は海側に座っているはずなのに……、と思って進行方向の料金表を見ると「長門市→小串」の表示……!!???
乗り間違えたーーーーーー!なぜだ、対面に止まる益田行を見て階段を渡って乗り換えたのに…!
(答え)
あとで確認したところ、下関から2両できた益田行は長門市で分割し、前の車両は益田へ、後ろの車両は折り返していたようです。仙崎方面からの入線で益田行は確認できたものの、小串行は仙崎方面の列車に隠されていて見えず、まさか同一ホームで分割して折り返すなどという想像をしていなかったのでわからずに小串行きに乗ってしまったようです。仙崎からの折返しの列車で案内なかったんだけどなあ…。
ま、まあ最悪下関→新山口まで行って、そこからバスで萩か山口線で益田に向かえば乗り継ぎの問題はないだろ観光はできないけど、と思いつつ時刻表を開くと、途中で折り返せば1本あとの東萩行に乗れるので、途中で折り返すことに。
というわけで、折り返すことを決めた時点の次の停車駅だった人丸駅で降りて折返しを待つことにしました。4年前までは有人駅だったので窓口のあととかがありました。いまは閉鎖されています。
元乃隅稲成神社の最寄りのようですが、ここから車で30分くらいかかるようなのでさすがに観光とかはできないため、適当に写真などを撮ったあと自販機でお茶を買ってきてベンチで40分ほど座ってました。で、最初は駅舎に人が居たのですが、程なく自分一人に。
蝉の声だけが聞こえる駅は、うるさいはずなのにとても静かな印象でした。空と雲と山、人の居ないホーム、蝉の声。多くの人が想像しやすいローカル線の駅の風景がそこに広がっています。凡ミスもいいところなんですが、この風景をぼんやりと眺めることができたのはちょっと良かった、と思います。
って、いいこと探ししなきゃやってらんねえ!
折り返して、今度はちゃんと長門市で乗り換えて東萩駅へ。1時間20分着くのが遅れたけどな。
荷物を預けたあとレンタサイクルを借りて出発。松陰神社を振り出しに東光寺にある毛利家の廟や萩城址、幕末志士の由来の場所とかをざっと巡ってきました。戦国期の毛利氏は好きで、幕末期の長州志士はあまり好きではなかったりしますが、古い町並みが残されている旧城下町は趣があっていいですね。
で、昼飯は図書館近くの売店で夏みかんジュース(写真ないけど、これも美味しかったです)を飲んでいるときに店員さんにおすすめされた萩心海でいかづくし定食を。
目の前のいけすで泳ぐ剣先イカをあげて、そのまま刺し身や天ぷらにしていただくわけで、こんなもの美味しくないわけがないのですよね。量・味ともに大変満足しました。美味しかったです。
というところで観光を終えて乗り鉄再開。益田へ移動したあと、そこから出雲市までは特急で。途中の江津まできたところで、過去に乗車した分と合わせて山陰線は完乗。三江線も今は昔。
出雲市から普通に乗り換えて米子まできたところでこの日は終了。
やくも復帰を祝うホワイトボード。まだ豪雨の爪痕は残っていましたが、着実に復旧しています。
最終日は鳥取を経由して東京へ。次回に続きます。